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いずれ手放すものたち「三粒のダイヤモンド」


パーソナルなことを文章にしたいと思った。どうしたら伝わるだろう、そのことを考えていて、

自分を構成する要素である「もの」の話を積み重ねていけば、何か伝わるだろうか。


何より私は「もの」を作っている。

自分が作ったもの、主には今は帽子だが、それがどのようにその人とともに時間を重ねているのかに興味がある。

ポチッとウェブでクリックしてから帽子が箱に入って届けられる。それからの物語。

わたしが作っているのは「もの」だけれど、人の手に届いてから、物語がはじまるのだ。


おしゃれをして出かける時の高揚した気分とともにあるのか、

こどもと過ごす毎日の公園とともにあるのか、

遠く旅に出る時には、忘れずに持って行ってもらっているのか。

買ってはみたもののすぐに無くしてしまったり、似合わない、となんとなく手が遠のいて手放してしまうこともあるだろう。


今までわたしも様々なものを手放してきた。特に、日本からオーストラリアに引っ越した際

持ち物をぐっと減らした。これからもまた気に入るものに出会い、その一方で何かを手放していくだろう。

時間もスペースも有限で、無限に何かを手にし続けることはできないことに気づいた年齢でもある。

いずれ全てのものは手放すことになる。あとどのくらい生きた後かはわからないけれど。


だからタイトルは、「いずれ手放すものたち」にしよう。

今は私の中に確かな場所を占めているもの、でもいずれさよならをするものの話をしていこう。



 

三粒のダイヤモンド


高校3年生の時に交換留学をして、アメリカのオハイオ州北部の小さな街で親元を離れて暮らしていた。

どこまでも広がるトウモロコシ畑。高く広い空。夜になると光があちこちに飛んでいてそれが蛍だと気づいた時、それまで蛍をみたことがなかった私の頭に違う回路ができたように感じたものだ。


インターネットもメールもない時代に、都内の学校に満員電車で通い、帰り道街で遊ぶ生活から車がなければどこにも行けない、180度異なる生活。

ただでさえ多感な時期、親にも古い友達にも頼れずに気を張り詰めて過ごした一年弱は、確かに今の自分の礎となっているようだ。


その暮らしも残り僅かとなった19歳の誕生日。日本の母から小さな封筒に入ってさりげなく送られてきたのは一粒ダイヤのピアスと、ネックレスだった。お誕生日おめでとう。そんなシンプルな言葉が添えられていただろう。


母の婚約指輪だったらしいその三粒のダイヤモンドは、ピアスと短い華奢な鎖のついたネックレスとなり、母が使っていたものだ。

初めて手にする「宝石」に、母に大人として認められた、そんなこそばゆいような気持ちがしたかどうか。


いくつものピアスを無くしてきた私だが、一番身につけてきたこれだけは不思議と無くしていない。

20代のしばらくは、これを耳に付けっ放しにしていたと思う。シャワーの時も、寝る時も、泥酔する時も、いつも気にせずつけていた。怖いもの知らずとはそのことだろう。ものを失う怖さをしった今は到底そんな風にはつけられない。

ネックレスは鎖骨の間にちょうどおさまり、リトルブラックドレスを、ボーダーのタンクトップとデニムを、ピンストライプのスーツを...

そう、服を選ばずにいつも飾ってきた。装いのフィニッシングタッチとして。


ここ10年くらい、出産してからは身につける機会が減った。華奢な鎖は赤子に引っ張られたらひとたまりもないし、

ピアスを無くしてしまうことを恐れ始めたから。


だが今こうして文章にしてみると、今この瞬間に身につけていないのが惜しいほどに、私の一部になっていると感じるジュエリーである。


そう、そして考えてみれば、これは母から譲られた初めての宝石でもある。

小さくて強く光る石達を、外見や好みは年相応に変われどこれからも身につけていくだろう。


19歳というタイミングといい、内容といい、さりげない贈り方。

母にはまだまだかなわない。


私もいつか自分の大切なものを、タイミングを逃さずに、こどもに譲ることができるだろうか。

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