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ハットストレッチャー

以前の職場では映画や舞台設定に合わせた時代ものの洋服を扱う仕事が多く

その中でよくお世話になった

恵比寿の、イギリスの昔の紳士服を扱うヴィンテージショップがあった。


オーナーがイギリスから直接買い付けてきた1900年代初頭からの

一際状態よいメンズのスーツやジャケットがぎっしりと店に並んでいた。

シックな三揃いのツイードのスーツ。クリーム色の麻のジャケット。

硬く糊付けされたつけ襟たちに、

イニシャル入りのハットケースとシルクハット。


オーナーは細やかに、大変に服を大切にされていた方だった。

1900年代初頭の革のライダースジャケットのメタルジッパーが

壊れてしまっては一貫の終わりだと、

丁寧にジッパーの歯にろうを塗られていたことを思い出す。


撮影用に借りた服を返却する際、

服の状態を確認してもらう時はいつも緊張しながら

息を詰めるように店に並ぶあれやこれやを

じっと眺めていた。


その中に帽子にまつわるものであろうな、

とわかる木製のものが

店内のディスプレイに置かれていた。

当時はまだ帽子のことを何も知らずにいたので、

それが何かすぐにはわからなかった。


長いことお世話になったその店が、

店じまいをすることになった

最後の日に駆けつけると

店内にある全てのものを売り払っていて、

店の前の道端にも商品があれこれ並んでいて、

店じまいを惜しむお客さんが沢山集まる中

オーナーはその横でビールを飲んでいた。


真っ先に私が「これが欲しいです」

と伝えたのが、その木製のオブジェで、

それはハットのストレッチャーだった。

「これ?これが欲しいの?」とオーナーは

顔をくしゃっとされて

「本当にいいものだよ。」と破格の値段を口にされた。

周りにいたほかのお客さんもそれはいいなぁ、

と口々に述べられている中、

それは、突然に私のものになった。



まだ帽子の仕事はしていなかった。

でも、帽子に心が惹かれはじめて、いくつか麦わら帽子を

工房にオーダーして製作し始めていた頃だっただろうか。


それからいつしか自分の軸足が帽子におかれていく中、

このストレッチャーはずっと私の傍にある。

今までいくつもの帽子のストレッチや型直しに

使ってきたしこれからも使っていくだろう。



自分がいずれ何をしているかなんて

頭で考えてもわかるはずもないが、

今、この瞬間に自分がしていることは少なくともわかる。


このハットストレッチャーをあの時オーナーに

「ください」とお願いしたこと。

そして譲ってもらえたこと。

そんな瞬間の集積が過去になり

また未来に繋がっていくのだろう。


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